【ある保安官の捜査報告書】
「もういいよ、お巡りさん」翌朝、被害者のレムスは溜息を吐いた。「その子も反省してるみたいだし、あたしたちも別に腹を立てちゃいないから」
途端に、檻の中から容疑者が身を乗り出し目を輝かせた。顔立ちはあどけなさが残る少女だが、継ぎ接ぎだらけで異臭を放つ服装とボサボサの髪の毛を見ると、とても更生するとは思えない。その点ではラグワームも同じ考えだったのか不満げに唸っていた。
「しかし奥さん。泥棒を許すのはさておき、こいつがあんたの店に火をつけた可能性だってあるんだぜ」
つけてないってば、と容疑者がラグワームに噛みつこうとするのを私が慌てて阻む。彼女は獣のように喉を鳴らしながら私を威嚇するが、まるで兎を相手にしているようで正直あまり恐怖は感じない。
「犯人はその子じゃないよ」レムスは案外さらりと返した。「それに元々どっかの馬鹿が安く買ったオンボロな店だからね。灰になってくれて、むしろ清々しいってもんさ」
どっかの馬鹿、というのは察するに彼女の夫、つまりシオンの父親にあたる人物だろう。以前ラグワームから聞いたことがある。家族の間で何らかの些細な諍いが起こり、それが原因で夫は出ていってしまったのだとか。
「そいつは違うよ」と私がこの報告書に筆を入れている間に彼女が口を挟んできたので訂正する。「あたしが出ていかせたんだよ、あの馬鹿を」
祖国と違って、此処は女が男より強い。夫婦の間に何があったのか詳しく聞きたいところだが、彼女の服の裾を掴み退屈そうにこちらを見つめてくるシオンと目が合ってしまったので、結局、彼女の前で訊くことはできなかった。
「分かった、分かった。だがこいつを檻の外に出すわけにはいかねぇんだよ」
ラグワームがいつもの癖で葉巻を咥えてマッチに火をつけようとしたものだから、レムスが咳払いをする。娘の前で吸うな、と。渋った顔をしながら葉巻とマッチを机の上に置き、ラグワームは言葉を続けた。
「こいつの身元が分からない。誰かが責任持って引き取ってくれなきゃ、ここから出せない決まりなんだ」
ひょっとして、この小娘は国の外から流れてきたのだろうか。だとしたら、まだ祖国の習慣が染みついている私と境遇は似ているかもしれない。不覚にも親近感が湧いた、その時だった。
「うちが引き取ります」と唐突に第三者の声がした。見ると事務所の扉の前にひとりの女性が立っている。似合わない眼鏡をかけて背筋をしっかりと伸ばしたその若い女性は、つい昨日我々も遭遇した人物だった。新しい町医者のモッコだ。突如として現れた彼女は、誰よりも早く火の海に飛び込み、この容疑者を救出した英雄だ。彼女が現れた途端に檻の中の娘が、ぴょんぴょんと嬉しそうに飛び跳ねる。かなり懐かれているようだ。
「昨日は挨拶もできず、ごめんなさい」モッコは礼儀正しく頭を下げる。「お店のこと、残念です」
「いいんだよ、ありがとう。先生こそ怪我しなかったかい?」
大丈夫です、と彼女は微笑みながら慌てて包帯が巻かれた左手を背中へと隠した。なるほど、どうやら嘘をつくことが下手な人物のようだ。
「本気か、先生」ラグワームが白髪の混じった頭を掻き毟る。「こいつに聴診器を盗られても知らねえぞ」
モッコは穏やかに笑みを浮かべた。「どんな食いしん坊でも、さすがに聴診器は食べないでしょう」
 
 
【ある博士の研究日誌】
「父ちゃん!」儂の貴重な睡眠時間は、愛娘の叫び声で容赦なく削り取られた。「どうしよう、どうしよう!」
「朝帰りか、娘よ!」儂は寝ぼけたまま怒鳴り返す。「彼氏か、マリナ!彼氏なのか!彼氏の家に泊まってきたんじゃろう!そうじゃろう!いつの間に彼氏ができたんじゃ!父ちゃんは認めんぞ!結婚なんてまだまだ認めんぞ!」
「聞いて、父ちゃん」と娘が真剣な表情で肩をガシッと掴んできたので、あう、と儂は反射的に黙る。「良いニュースと悪いニュースがあるの」
焦っている割に余裕のある台詞回しだな、と儂は思ったが、とりあえず流しておいて「良いニュースから聞こう」と応えた。
「父ちゃんが欲しがってた、例の物」マリナの表情が満面の笑みに切り替わり、儂のベッドの上にスーツケースを置いた。「手に入れてきちゃったよ」
儂は思わずそのスーツケースに食らいつくように飛び起きた。オクロ牛の革で丁寧に施された上質な肌触り。儂は無心にそのスーツケースに頬を擦りつけた。
「いい加減教えてくれてもいいんじゃないの」と娘が床に転がった紙屑を蹴飛ばす。「そのケースの中身」
「駄目じゃ、駄目じゃ」慌てて儂は首を横に振った。「こいつにお前が触れるにはまだ十年早い」
「散々危険な目に遭わせといて今更何言ってんのさ」
「その散々危険な役回りをわざわざ自分から買って出たのは、どこのどいつじゃ」
「父ちゃんノロマだから独りであんなことできないでしょうが」
「いつからそんな母ちゃんみたいな物言いを」と、そこまで口を滑らせて、儂は言い淀んだ。マリナもまた顔をそむけている。
「あたしは母ちゃんみたいな立派な助手になれない。そんなの分かってるよ」
そんなことは、と儂が再び口を開こうとするのを娘が遮った。
「それでも父ちゃんの夢を叶えたいって気持ち、それだけは母ちゃんに負けてないつもりだから」
マリナはそう言って満面の笑みを浮かべる。その笑顔に、わずかに亡き妻の面影がちらついた。儂は喉まで出ていた言葉をぐっと呑み込む。「特別じゃぞ」とスーツケースの錠を解き開くと途端にマリナが覗き込んできた。ケースの中は複雑にコードが張り巡らされた回路でびっしりと覆われている。
「人間が夢を見る時、身体のどこのエネルギーを使うか分かるかい?」
「此処でしょ」とマリナは儂の禿げた頭をぽんと叩いて即答してみせた。さすが我が子。
「この機械を完成させれば、そのエネルギーを共有して互いの脳を一時的に、ひとつの状態に接続することができるんじゃ」
それって凄いのか、という視線を娘が向けてきたので、凄いのよ、と頷いておく。
「これさえあれば、ひとつのイメージを共有することができる。すなわち同じ夢を見ることもできるんじゃ。故にその名もドリームジャンボ」
それって宝クジじゃ、と娘が言いかけたところで突然に入口のガラスが勢いよく割れた。ひっ。慌てて儂らは身を隠す場所を探した。床に散らばった紙屑で足を滑らせたその時、とうとう音を立てた張本人が扉を開け放ち、入ってきた。
「ごめん、父ちゃん」マリナが苦笑する。「悪いニュース忘れてたわ」
ズカズカと入ってきた、黒服に赤シャツの若い男がニヤリとして刀を向けてきた。「あんたがドリー博士かい。噂に聞いた通りの酷ぇ禿げ頭だな」
もう少しマシな噂はないのか。儂は身を翻して挑発の笑みを返してやろうとするが、紙で足を滑らせてまた転ぶ。
「そのドリームジャンボ、この俺がいただくことになってんだ。おとなしく渡しな。もはやこの大事な隠れ家も袋の鼠だぜ」
「甘いな、ボアとやら」ちっちっちっ、と儂は指を振ってみせた。「隠れ家は此処だけではない。腐っても天才博士。東西南北それぞれに隠れ家を持ち、おまけにこの町の地下には巨大な秘密研究所だってあるのじゃ!」
「何だって」ボアは大仰に驚いた。「東西南北の隠れ家に、とどめの秘密研究所だと!」
「父ちゃん、なんでそこまで喋っちゃうの」と娘に釘を刺され、はっとなる。しまった、ついうっかり。
 
 
【ある看護師の手帳】
食べました。その子、本当に聴診器を食べてしまいました。それはもう見事な食べっぷりで私と先生で慌ててどうにか彼女の喉に引っかかった聴診器を引っ張り出したのです。今はジュゴンさんが焼いてくださったステーキをいっぱい食べて満足そうに眠っています。食い意地だけではなく、どうやら頭も少し弱い子のようで、何だか私はいつも以上に疲れてしまいました。
「ねぇ、先生」と私は昼間、モッコ先生に話しかけました。「本気であの子を引き取るんですか」
「だって他に行く宛がないなら、誰かが居場所を作ってあげなきゃ」
「こういう言葉は使いたくありませんが、足手纏いになると思いますよ」
「足手纏いかもしれない。それでも、なんとなく、ほっとけないんですよね」
彼女はそう言って笑いましたが、その理由を知っていた私は、それ以上は何も言いませんでした。
町外れの緑広がる雄大なその牧場に私たちが招かれたのは陽が沈みはじめて半刻ほどでした。牧場を経営するジュゴンさんから「どうしても診てほしい人がいる」と頼まれ、日を改めて訪れたのです。質素な一軒家の片隅に小さな寝室があり、そこへ私たちは案内されました。埃まみれのベッドに横たわっていたのは、彼の奥さん。とても美しい顔立ちで穏やかな空気を纏っていました。
「テトラ」とジュゴンさんが彼女に声をかけます。「この前、話した先生だよ。お前を診にきてくれたんだ」
しかし彼女が言葉を返すことはなく、僅かな吐息が漏れる音だけが微かに伝わってきます。眠っているようにも見えましたが、そうではないということは程なく分かりました。テトラさんは身動きひとつできず、意識の有無もすぐそばにいる者しか気づくことができません。それが彼女の症状でした。
「モルドライゼン症候群の可能性があります」先生は話しはじめました。「手足や顔、内臓など人が日常的に動かしている部位に脳から発している信号が伝わらなくなり、身体機能が少しずつ低下していくもので、発症した患者さんはそれから一年も経たずに、そのまま」
先生はそこまで話すと、ふと咳払いをしました。そして私に目配せをして、ジュゴンさんの傍にしがみついていた娘さんを外すように促しました。私は頷いて彼女を、ミナモちゃんを連れて居間暖炉の方へと向かいました。居間では満腹になった例の少女が大の字になって床で鼾をかいています。まったく暢気なものね。私が溜息まじりに彼女に毛布を掛けると、ミナモちゃんは自分の寝室から枕をひとつ持ってきてくれました。ありがとう、と私が言うとミナモちゃんは少し照れたように微笑みました。笑うと目が細くなるところはジュゴンさんによく似てますが、彼女の透き通るような横顔はお母さん譲りのようです。
「お母さん、治りますか」とミナモちゃんが訊いてきました。そのか細い声は、ふっと息を吹いたら消えてしまいそうな儚いもので私は思わず言葉を迷ってしまいました。
「大丈夫」と私はぎこちなく応えます。「お母さんには先生がついてるから、きっと大丈夫」
とても言うことはできませんでした。モルドライゼン症候群は未だに治療法が見つかっていない難病であること。そしてその病魔はモッコ先生にとって因縁の相手でもあること。十年前、モッコ先生の最愛の友を、その命を奪った病であることを、とても言うことはできませんでした。
その時ふいに家の外から大きな物音が聞こえてきました。私とミナモちゃんは顔を見合わせ、なんだろう、と窓から外の様子を窺ってみました。すると暴馬キャロスが唸り声を上げて背中に跨る誰かを必死に振り払おうとしています。何事だ。慌てて先生とジュゴンさんも駆けつけて、キャロスを鎮めようとします。やがて背中にしがみついていた少年が振り落とされ、藁の束に顔から突っ込むとまた勢いよく身を翻して私たちの前で地面に這い蹲りました。
「お願いします。この牛だか馬だかよく分からない奴を、俺に貸してください」
そのいかにも不良のような格好をしたその少年は、意外にも礼儀正しい口調でしかし荒々しく言いました。
「このままじゃ町が、シャドライが火の海にされちまうんだ」